【王様と2頭の馬】 タルムード 気付きの勝負
あるところに王様がいました。
王様には2人の息子がいました。
ある日、王様は後継者を選びたくなったので
2人に、こう提案しました。
「馬のレースを開催する。勝った方を後継者とする。」
「エルサレムを周ってこの城に帰ってくるレースだ。
ただし、馬が遅く着いた者を勝者とする。」
レースはスタートしました。
馬に乗って何日も走りました。
しかしながら、2人ともゴールできません。
なぜなら、相手の馬より後の方が勝ちなので
先に門をくぐったら負けだからです。
そろそろ食糧もなくなります。
2人は追い込まれて、考えました。
どうすればいいでしょうか?
突然
王子たちは猛烈に門に向かって走り出しました。
2人の王子は
相手の馬にまたがって競争を始めたのです。
王様は、賢い方を跡継ぎにしたかったのです。
気付きの勝負でした。
【悪魔と助産婦】タルムード 金銭欲に踊らされると、幸せは遠ざかる。
ある時、お産を助けた帰りが遅くなって凍てつく夜道を歩いていると、子猫の鳴く声を耳にした。 鳴き声がするあたりをロウソクで照らすと、捨て猫が一匹、凍って死にそうになっていた。
助産婦は、持っていた温かいミルクと毛布を子猫に与えた。
すると、突然人間の声で子猫が話し出した。
「私は悪魔です。他の悪魔があなたをお産の助けに呼ぶかもしれません。でも人間の姿をしているのでわかりません。その時に悪魔を報酬として持ちきれないほどの金貨をあなたに差し出すでしょう。それを受け取ればあなた自身が悪魔になってしまいます。金貨に惑わされず、いつも通りの報酬をもらってください。このウィズダムが私を助けてくれたお礼です」
そう言い終わると、子猫は悪魔の姿になり、闇に消えていった。
それから何ヵ月も経ったある日の真夜中に、助産婦の家のドアをドンドンと叩く音がした。
ベッドから起き上がってドアを開けると、一人の立派な身なりの男があわてた様子で立っていた。
「妻が今にも出産しそうなので、急いできてくれませんか」
真夜中だったが、助産婦は嫌な顔をせず、すぐに支度をしてその男の馬車に乗り込んだ。
それからかなりの距離を走り、見たこともないお城に着いた。
男は城主だった。 若い妻の出産にギリギリ間に合い、無事赤ん坊を取り上げることができた。
「良くぞ、こんな夜中に遠いところを来てくださった。私の心ばかりのお礼をぜひ受け取ってください」
城主は大層感謝し、召使に命じて重そうな袋を持ってこさせ。
助産婦が袋を開けてみると、なんと中はまばゆい金貨で埋まっていた。
彼女が一生働いてもこんな大金は稼げない。
貧しい助産婦は、思わずその金貨に手を伸ばそうとしたが、その瞬間、いつかの猫の忠告を思い出した。
それでこう返事をしたのだった。
「こんな大金は受け取れません。銅貨一枚だけで結構です」
銅貨一枚が助産婦のいつもの報酬だった。 城主には何度も金貨を受け取るように言われたが、助産婦は固く辞退して、お城を後にした。
馬車で送ってくれた城主は、馬車の中でしつこく聞いてきた。
「私が差し上げたいと言っているのだから、遠慮はいらない。何も悪いことをして大金を手にするわけではない。どうして受け取らなかったのかね?」
そこで、助産婦はかつて助けた猫が悪魔であったことや、その悪魔が授けてくれたウィズダムについて話した。
その話を聞くと、城主は悪魔の姿になり、「お金の誘惑に負けない人間がいることを初めて知った。この次はお金ではなく、ご馳走で人間を誘惑する事にしよう」とつぶやいて消えた。
それから何年も経ったある日、村のラバイが見知らぬ人の葬式に招かれた。
ラバイは遠いお城に連れて行かれたが、そこで死者を丁寧にとむらった。
そこで城主はお礼にと、今までラバイが食べたこともないような豪華な食事に招いた。
しかし、ラバイは助産婦から話を聞いていたので、思わずよだれが垂れそうな食事には一切手をつけず辞去した。
城主はラバイの前には二度と現れなかった。
数年後、同じ村のモヘル(割礼手術をする人)のところに、見知らぬ人から依頼が来た。
このモヘルはケチで有名だった。
「モヘルをして、真面目に仕事をし、ユダヤ教の勉強をしているのだから、寄付はしない」と言い、小間物問屋とモヘルの仕事でお金を貯め、一切のツェダガ(収入の十分の一を寄付するユダヤの習慣)をしていなかった。
モヘルが出向いた先は、立派な城で、男の子が毛布にくるまれていた。
急いで割礼手術を施すと、その城主は大変感謝し、「ぜひ受け取ってください」と金貨の詰まった袋を差し出した。
モヘルは辞退した。
すると「では豪華な食事をぜひ食べて行ってください」と言われたので、これも断った。 ラバイから話を聞いていたからだった。
すると城主は悪魔になった。
「おまえはケチだと聞いていたが、金貨にもご馳走の誘惑にも負けないのであきらめよう。ただし、一つだけ忠告しよう。今後も今までのようにツェダガをしないのであれば、いずれお前は悪魔の世界に引き込まれるでだろう」
そういうと、悪魔は消えていった。
村に戻ってラバイにこの話をすると、「それは悪魔の言うとおりだ」と、ラバイからも忠告を受けた。それ以来、このモヘルは心を改め、ツェダガを一生懸命行うようになった。
人のためにお金を使えば長く幸せになれる 決して金の奴隷になるな
「不相応な大金は、人がくれるといっても手にしてはいけない」
「不相応に贅沢で豪華な食事を振る舞われても、決して口にしてはいけない」
「貧しい人のために寄付をしなければ、悪いことに引き込まれて幸せにはなれない」
幼いころ、母親から聞かされた話をユダヤ人は心に刻む。
ユダヤ教では金儲けも食事も、すべて貧しいくらいに控えめにすること、弱い者のために寄付せよと教える。
「金貨がパンパンに詰まった財布には祝福は訪れない」というのがユダヤの教え。
パンパンにならないように常に収入の十分の一を寄付するのだ。
また、うまい儲け話や不相応な接待には決して乗らない。
そうした話には必ず裏がある、悪いことに引き込まれる予兆だと考えるからだ。
仕事の正当な報酬は、家族を支えるほどのものでよく、それ以上のものを差し出されても受け取るべきではなく、無論こちらから請求などしてはならない。
「金貨はよい輝きを放つが、ありすぎると周辺の温度を下げる」
「金持ちに相続人はいても子供はいない」
というのもユダヤの格言である。
「今日あなたは、自分の穀物倉庫を見て穀物の量を数えようとした。その瞬間にあなたは神から見放される」
この格言は、お金や物など「数えられるものに」に幸せは宿らない、ということを教えている。
「今日はこれだけ儲かった」と考えた瞬間に、ユダヤでは「神の庇護がなくなる」と言われている。
金銭欲に踊らされると、幸せは遠ざかる。
このことをユダヤ人は子どものころから、さまざまな格言や小話で叩き込まれ、ほどほどを知り、お金に対する自制心を学んでいくのである。
【煙突掃除】タルムード 問題自体を疑え
二人の男の子が煙突掃除をした。
一人は煤で顔を真っ黒にして下りてきた。
もう一人はまったく煤をつけず、きれいな顔をして下りてきた。
さて、顔を洗うのはどちらの男の子か。
ある人は、「もちろん顔が真っ黒になった方の子が顔を洗うはずです」と答えた。
ラビは「あなたにはまだタルムードを開く資格はない」 と冷ややかに言った。
「では答は何ですか?」
「顔の汚れた男の子は顔のきれいな男の子を見て、自分の顔もきれいだと思う。 顔のきれいな男の子は、顔の汚い男の子を見て、自分の顔も汚いと思う。わかったかね」
その人は、「あ、わかりました。もう一度テストをして下さい」 と言った。
ラビが同じ質問を繰り返すと、その人は、「顔を洗うのはきれいな顔をした方です」と答えた。
するとラビはまた冷ややかに、「あなたはまだタルムードを勉強する資格がない」 と言った。
「なぜですか?」
「二人の男の子が同じ煙突を掃除して、一人がきれいな顔で、もう一人が汚い顔で下りてくるということはありえない」
問題自体を疑え
二人の間で会話が正常に行われるなら、汚れた方だけが洗う可能性が一番大きい。
しかし、このテストはインチキである。
設問で想定されていた条件自体が間違いであるというのはフェアではない。
テストをするラビの考えることを先回りして推定するほどの頭のよさがない限り、 誰もこの種のテストには合格させてもらえない。
【ヘブライの王の助言】タルムード 幸福と幸福感は別のもの―幸せの価値を見極める
ある村に、毎日の自分の不幸を嘆いている男がいた。男の言い分はこうだ。
「オレの家は狭いうえに、子供が四人もいて、おまけに女房が太っているので、自分は毎日立って寝なければならない。ひどい話じゃないか。こんな狭い家に住むオレほどこの世で不幸な人間はいないだろうよ」
この不満を聞いたヘブライの王は、男にこう命令した。
「おまえのその狭い家の中で、ニワトリを10羽飼いなさい」
王の命令に嫌々従った男は、こう不満を申し立てた。
「女房と子どもだけでも足の踏み場もないのに、ニワトリ10羽をそこで飼ってたら、私は糞にまみれて寝よと言うのですか。前よりも不幸になりましたよ」
これを聞いたヘブライの王は、さらにこう命じた。
「それでは、ニワトリ10羽に加えて、羊を10匹家の中で飼いなさい」
男は王の命令だから従ったが、国中の人間に向かって、自分は王の命令のおかげで世界で一番不幸な目に遭っていると、言い回った。
しばらくして、やっと王は「ニワトリ10羽と羊10匹は、家の外で飼ってよい」と命令を変えてくれた。
次の日、男は王のもとに、感謝の品々を持って駆けつけて、こう言った。
「私は大変幸せな男です。今や、私の家には家内と子供四人、広々と暮らせるようになりました。ありがとうございます」
幸福と幸福感は別のもの―幸せの価値を見極める
どれだけお金を持っていても、どんな暮らしをしていても、上には上がいるため、欲望に限りはなく、上を目指すと幸福感を感じにくい。
幸福も別の角度から見れば不幸感に包まれることもあるし、不幸なことも別の角度から見れば幸福感で満たされることもある。自分が今持っていないことを不満に思い、物を欲しがる人は、今ある幸せには気づけない。
【グルメは死罪だ】タルムード 美味しいものを食べるものより大切なことが人生には数多くある。
モーゼに連れられてユダヤ人がエジプトから脱出したのは、約束の地カナンに入って良い暮らしをするためのはずであった。
それが40年もの間砂漠の中彷徨い、死ぬほどの苦労をしている。
こんな苦痛を味わうためにエジプトを出たのではない、とユダヤ人たちは神に文句を言い出した。
「神様、勘弁してください。40年近くも砂漠を彷徨っています。その間、水と食べ物だけは神さんからもらいましたが、いつも同じ食べ物ばかりやないですか。マナといういつ食べても味が変わらん物ばっかり食べてます。ああ、肉が食いたい、魚が食いたい、美味いものが食いたい。ワインが飲みたい、柔らかいパンが食いたい。神さん、何とかしてくれませんか」
ユダヤ人の指導者モーゼは、これを聞いて蒼くなった。
「これは神がお怒りになるぞ。このユダヤ人どもは大変なことを言っている。この馬鹿どもが」と思ったが、時すでに遅しで、この文句を聞いた神は烈火のごとく怒った。
「何だと、このユダヤ人ども。食事に関して文句を言うのか。贅沢な食事をしたいだと、ふざけるんじゃない」
そう言うと神は、史上最強の毒を持つ毒蛇を何匹もユダヤ人の群れに放たれた。毒蛇は食事に文句を言っていたユダヤ人に咬み付いた。何十、何百人というユダヤ人たちが毒蛇に咬まれて即死した。
これを見ていた生き残ったユダヤ人たちが、モーゼに懇願した。
「ああ、私たちが悪かった。食事に文句をつけて悪かった。生きながらえているだけで有難いのに、いつもいつも同じ食事だと文句を言ってしまった。私たちは大変な罪を犯した。モーゼさん、何とか助けてください」
そこでモーゼが神にとりなしたところ、「わかった」と神は言い、モーゼとユダヤ人たちに次のような指示を出した。
「鋼を使って毒蛇を形作れ。咬まれた者はその銅で作った毒蛇に向き合え。そうすれば命を生きながらえるだろう。ただし、その毒蛇は、高いボールの先に置け、見上げるように置くのだ」
貧者のように食べよーグルメに走る者は神を忘れる者
美味しいものを食べるものより大切なことが人生には数多くある。
【小魚と水】タルムード 目に見えないものこそ大切なもの
神は小魚にユダヤ教の大切さを教えようとした。
しかし、小魚は「目に見えないものなど価値がない」と関心を持たなかった。
そこで、神は一瞬だけ小魚の周りから水をなくしてしまった。
体をバタバタさせて小魚は苦しがり、水がないため鱗も乾いてしまい、それは大変な思いをした。
神が水の中に小魚と戻すと、恵みの水に体を存分に浸し、「目に見えないものがなければ、私はいきていけないことが、やっとわかりました」と小魚は神に言った。
水の大切さを知った小魚は、二度と自ら離れようとしなかった。
ある時、水辺にキツネが来て、泳いでいる小魚をからかった。
「魚さん、魚さん。なんでそんな狭い小川の中で一生懸命流されまいとウロウロしているんだい?一度陸に上がって来てごらんよ。食べ物はいろいろあるし、遊ぶところだって水の中よりいっぱいあるよ」
小魚はキツネに向かってこう言った。
「とんでもない。私たちは水の中でしか生きられないのですよ」
目に見えないものこそ大切なもの
今回の説話においても、目に見えないことが大切やと小魚は理解した。
小魚にとって、水はまさに生まれてからずっと当たり前にあったもの。
だから、それがあることに感謝などもしなかった。
神様はそんな小魚の態度が本当かどうか確かめるために、水をなくした。
結果的に小魚にとって、水は目に見えないがなくては生きていけないほど大切なものだと理解することができた。
キツネのような誘惑が世の中には溢れてるけど、「本当に自分にとって大切なもの」を見失わずに生きることが大事になってくる。
結果的に、目に見える分かりやすいものではなく、目に見えないことこそ大切なもの。
【兵士とパスポート】タルムード 決してあきらめないー起死回生の一打を必死で考え実行せよ
北部アフリカのエチオピアにはユダヤ人がいます。
1980年代末、エチオピアの軍事政権は国内のユダヤ人を捕らえ、刑務所に放り込んでいました。
殺害はされなかったものの、食べ物は与えられず、餓死の危険がありました。
捕らえられた中には一人のラバイがいました。この人は、監視の隙を見て逃げ出しました。
その日は農家の小屋に隠れ、夜暗くなってから国境に向かって歩き出しました。
陽が昇る前に隠れ、深夜に明かりのない道を歩くことを何日か繰り返しました。
やっと収容所からかなり離れたので、国境方向に行くバスに乗って時間と距離を稼ぐことにしました。
ところが、途中の検閲所でバスが止められ、兵士二人が乗り込んで来て、マシンガンも抱えながら「全員パスポート、または身分証明書を見せろ。手に持って頭上に差し出せ」と大声で怒鳴りました。
このラバイは何も持たずに脱走したので、もちろんパスポートも身分証明書も持っていませんでした。
いちばん後ろに座っていたので、憲兵が来るまで二〜三分の余裕があり、必死で考えました。
そして、とっさに次の行動に打って出たのです。
パッと立ち上がるや、彼の回りに座っていた何人もの乗客のパスポートを次々と集め出し、15人分ぐらい集めるや、通路を近づいて来る将校の一人に、「私の分も含めて後部座席の乗客のものをお持ちしました。お役目大変ご苦労さまでございます」と言ったのです。
虚を突かれた兵士は協力者の市民がたまたまバスに乗っていたと思ったのか、15人分のパスポートに一応ざっと目を通して、そのままラバイに返し、「よかろう」と言ってバスから降りて行きました。
心臓の鼓動が恐怖のあまり停止せんばかりであったそうです。
このラバイは無事国境を通過し、地中海から船に乗って、イスラエルに逃れでたのでした。1ヶ月にもなる逃避行でした。
(ラバイはユダヤ教の聖職者 のこと)
決してあきらめないー起死回生の一打を必死で考え実行せよ