【悪魔と助産婦】タルムード 金銭欲に踊らされると、幸せは遠ざかる。
ある時、お産を助けた帰りが遅くなって凍てつく夜道を歩いていると、子猫の鳴く声を耳にした。 鳴き声がするあたりをロウソクで照らすと、捨て猫が一匹、凍って死にそうになっていた。
助産婦は、持っていた温かいミルクと毛布を子猫に与えた。
すると、突然人間の声で子猫が話し出した。
「私は悪魔です。他の悪魔があなたをお産の助けに呼ぶかもしれません。でも人間の姿をしているのでわかりません。その時に悪魔を報酬として持ちきれないほどの金貨をあなたに差し出すでしょう。それを受け取ればあなた自身が悪魔になってしまいます。金貨に惑わされず、いつも通りの報酬をもらってください。このウィズダムが私を助けてくれたお礼です」
そう言い終わると、子猫は悪魔の姿になり、闇に消えていった。
それから何ヵ月も経ったある日の真夜中に、助産婦の家のドアをドンドンと叩く音がした。
ベッドから起き上がってドアを開けると、一人の立派な身なりの男があわてた様子で立っていた。
「妻が今にも出産しそうなので、急いできてくれませんか」
真夜中だったが、助産婦は嫌な顔をせず、すぐに支度をしてその男の馬車に乗り込んだ。
それからかなりの距離を走り、見たこともないお城に着いた。
男は城主だった。 若い妻の出産にギリギリ間に合い、無事赤ん坊を取り上げることができた。
「良くぞ、こんな夜中に遠いところを来てくださった。私の心ばかりのお礼をぜひ受け取ってください」
城主は大層感謝し、召使に命じて重そうな袋を持ってこさせ。
助産婦が袋を開けてみると、なんと中はまばゆい金貨で埋まっていた。
彼女が一生働いてもこんな大金は稼げない。
貧しい助産婦は、思わずその金貨に手を伸ばそうとしたが、その瞬間、いつかの猫の忠告を思い出した。
それでこう返事をしたのだった。
「こんな大金は受け取れません。銅貨一枚だけで結構です」
銅貨一枚が助産婦のいつもの報酬だった。 城主には何度も金貨を受け取るように言われたが、助産婦は固く辞退して、お城を後にした。
馬車で送ってくれた城主は、馬車の中でしつこく聞いてきた。
「私が差し上げたいと言っているのだから、遠慮はいらない。何も悪いことをして大金を手にするわけではない。どうして受け取らなかったのかね?」
そこで、助産婦はかつて助けた猫が悪魔であったことや、その悪魔が授けてくれたウィズダムについて話した。
その話を聞くと、城主は悪魔の姿になり、「お金の誘惑に負けない人間がいることを初めて知った。この次はお金ではなく、ご馳走で人間を誘惑する事にしよう」とつぶやいて消えた。
それから何年も経ったある日、村のラバイが見知らぬ人の葬式に招かれた。
ラバイは遠いお城に連れて行かれたが、そこで死者を丁寧にとむらった。
そこで城主はお礼にと、今までラバイが食べたこともないような豪華な食事に招いた。
しかし、ラバイは助産婦から話を聞いていたので、思わずよだれが垂れそうな食事には一切手をつけず辞去した。
城主はラバイの前には二度と現れなかった。
数年後、同じ村のモヘル(割礼手術をする人)のところに、見知らぬ人から依頼が来た。
このモヘルはケチで有名だった。
「モヘルをして、真面目に仕事をし、ユダヤ教の勉強をしているのだから、寄付はしない」と言い、小間物問屋とモヘルの仕事でお金を貯め、一切のツェダガ(収入の十分の一を寄付するユダヤの習慣)をしていなかった。
モヘルが出向いた先は、立派な城で、男の子が毛布にくるまれていた。
急いで割礼手術を施すと、その城主は大変感謝し、「ぜひ受け取ってください」と金貨の詰まった袋を差し出した。
モヘルは辞退した。
すると「では豪華な食事をぜひ食べて行ってください」と言われたので、これも断った。 ラバイから話を聞いていたからだった。
すると城主は悪魔になった。
「おまえはケチだと聞いていたが、金貨にもご馳走の誘惑にも負けないのであきらめよう。ただし、一つだけ忠告しよう。今後も今までのようにツェダガをしないのであれば、いずれお前は悪魔の世界に引き込まれるでだろう」
そういうと、悪魔は消えていった。
村に戻ってラバイにこの話をすると、「それは悪魔の言うとおりだ」と、ラバイからも忠告を受けた。それ以来、このモヘルは心を改め、ツェダガを一生懸命行うようになった。
人のためにお金を使えば長く幸せになれる 決して金の奴隷になるな
「不相応な大金は、人がくれるといっても手にしてはいけない」
「不相応に贅沢で豪華な食事を振る舞われても、決して口にしてはいけない」
「貧しい人のために寄付をしなければ、悪いことに引き込まれて幸せにはなれない」
幼いころ、母親から聞かされた話をユダヤ人は心に刻む。
ユダヤ教では金儲けも食事も、すべて貧しいくらいに控えめにすること、弱い者のために寄付せよと教える。
「金貨がパンパンに詰まった財布には祝福は訪れない」というのがユダヤの教え。
パンパンにならないように常に収入の十分の一を寄付するのだ。
また、うまい儲け話や不相応な接待には決して乗らない。
そうした話には必ず裏がある、悪いことに引き込まれる予兆だと考えるからだ。
仕事の正当な報酬は、家族を支えるほどのものでよく、それ以上のものを差し出されても受け取るべきではなく、無論こちらから請求などしてはならない。
「金貨はよい輝きを放つが、ありすぎると周辺の温度を下げる」
「金持ちに相続人はいても子供はいない」
というのもユダヤの格言である。
「今日あなたは、自分の穀物倉庫を見て穀物の量を数えようとした。その瞬間にあなたは神から見放される」
この格言は、お金や物など「数えられるものに」に幸せは宿らない、ということを教えている。
「今日はこれだけ儲かった」と考えた瞬間に、ユダヤでは「神の庇護がなくなる」と言われている。
金銭欲に踊らされると、幸せは遠ざかる。
このことをユダヤ人は子どものころから、さまざまな格言や小話で叩き込まれ、ほどほどを知り、お金に対する自制心を学んでいくのである。